寝たきり寸前の認知症から回復した祖父について

寝たきり寸前の認知症から回復した祖父について

私の祖父母で存命しているのは母方の祖父ひとりとなり、そんな祖父も2018年3月で93歳を迎えました。祖父は5~6年くらい前に私の両親の家で暮らしています。

一時期ほぼ寝たきりの状態にまで体力を失い、認知症を発症し徘徊したり会話もちぐはぐになっていた祖父ですが入院生活のリハビリから復帰して現在では1人でトイレに行ったり着替えたりできるほど回復し元気に過ごしています。そんな祖父の寝たきり寸々にまでいって、そこから回復した経緯を紹介したいと思います。

祖母が亡くなり精神的にも肉体的にも衰えていった

話は祖父の妻。私の祖母が亡くなるときまでさかのぼります。祖母がまだ生きていた頃長らくパーキンソン病を患っており、祖父の介護のもと生活しておりましたが2012年の春に86歳で永眠となりました。

それまで高齢ながらも祖母を支えていた祖父は介護の疲れもあり昔のスーツがぶかぶかになるほど痩せてしまってました。祖母が亡くなって一気に気が抜けてしまった、というか長年連れ添ったパートナーを失った喪失感もあったのだと思います。最初は気丈に振舞っていましたが、みるみると元気を無くしていきました。

祖母が亡くなるまで慣れないながらも炊事や洗濯などしていた祖父でしたが、支える人がいなくなると気力が低下していき、それが体力にも表れて一人で生活するのも困難になるほど足腰も弱くなっていきました。

そこで一人で暮らすのが困難であると判断した私の両親は祖父と一緒に生活するようになりました。

入退院を繰り返す祖父

1人暮らしが出来ないとはいえ、まだ一人でトイレに行ったり用意された食事を口にすることは出来ていました。ところが風邪をひいたり体調を崩すと言動がおかしくなり始めました。

風邪が治ると支離滅裂な発言は少なくなりますが、明らかに体調を崩すたびに体力の低下していき、認知症の症状が強くなっていっているように感じます。

いったん体調を崩すと回復するまで時間が掛かりますし、まだ現役で働いている両親が看護をするにも限界があるので、一度入院して体調を回復させある程度元気になったら退院といったことを何度か繰り返すようになりました。一回の入院期間は1~2ヶ月くらいだったと思います。

お風呂事件

ある日私が両親の家に訪れた際、19時30分くらいだったと思いますが辺りは暗くなっているにも関わらず祖父が家にいるはずなのに家の中が暗くなってました。

両親は仕事で留守にして家には祖父が一人いるはず。でもどこの部屋を見ても祖父の姿はありません。私は、両親が早く帰ってきて祖父と出かけたのかなと思い、家を出よう思いました。

しかし、なんとなく人の気配がします。もしかしたら、と思い洗面所に行きその先の風呂場を見ると、真っ暗な風呂場から扉のすりガラス越しに人の手がかすかに動いているのが見えました。その手は祖父のものでした。

慌てて風呂場の扉をあけて祖父の姿を確認しました。

状況を説明すると、祖父は夕方まだ明るい時間帯に1人で風呂に入ったものの、滑って転倒してしまい自力で起き上がる事が出来ず何時間も横になったままだったそうです。

季節は秋で裸で何時間も過ごすには厳しい気温でした。蛇口からお湯が出てましたのでそこからなんとか暖を多少取ることは出来ましたが、体全体は冷え切っていました。取りあえず体を起こし暖かいシャワーを掛けて体を温めてあげ、体を拭いて暖かくするようにしました。

両親は祖父に一人でお風呂に入らない様に言ってました。その場では了承したものの両親の警告を忘れて一人でシャワーを浴びようとしたのでした。

一人で外出しないように。一人でお風呂に入らないように。一人では危険を伴うものに関してはいくつか注意はしているのですが、認知症を患うとそういった注意は意味をなさなくなってしまいます。

ついにお終いかと覚悟した入院

お風呂の一件で当然また体調を崩してしまい、入院を余儀なくされました。

そこから長い入院生活へと突入します。いつもなら2ヶ月弱で帰ってくるのですが、その時は半年以上も入院することになります。

入院してからしばらくしてお見舞いに行くと祖父はうつろな感じで起きているのか寝ているのか分からない感じでした。話しかけると「あ、ぁ。」と反応してくれるのですが、以前のような力強さはありません。

それどころか手足が震え「ありがと、ありがと、ありがと」「大丈夫、大丈夫、大丈夫」一つ一つ口にする単語を何度も繰り返してました。意識はあるものの手足や発言が思うようにいかなかったのだと思います。自力で起き上がることも出来ずほぼ寝たきりでたまに頭がぼ~っとなっているかのような祖父はこのころ【要介護4】とされていたようです。

ほぼ寝たきり、意志の疎通も難しくなった祖父はいよいよ寿命を迎えるのだと感じました。この状態から以前のように歩き回るのは年齢的に無理だと思いました。

ほんとうに、ほんとうにお世話になった祖父です。当然いつかはお別れが来ることは分かっているのですから、まだ命があるうちに少しでも一緒にいる時間を作ろうと足しげくお見舞いに通いました。

90歳まで生きたのだからそれなりに長生きはしています。祖父の命については一度は覚悟を決めました。

祖父の復活、しかし油断はできない

祖父がほぼ寝たきりで意志の疎通が難しいと感じ覚悟したあの日がほんとうに一番危険な状態だったのだと思います。そこをピークに祖父の体調は少しずつ回復し、日を追うごとに少しずつ会話が増えてきました。

体を起こしている時間も増えて、笑って話をするようになりました。一度は覚悟を決めたのですが、不思議なことにあれから祖父の体調は良くなっていってます。

実は入院している間に病院側でただ看病をしているだけでなく、根気強くリハビリをしてくれていました。

理学療法士が定期的にマッサージを施したり負荷をかけて筋力の回復を促してくれてました。祖父は根は真面目な性格ですのでそういった作業をコツコツと受け入れて作業してくれてたようです。

身体的なリハビリの他にも工作などの課題を出されて、それもコツコツ作業してたみたいです。祖父に言わせると工作の課題は仕事だと思ってたらしく、中々終わらないと残業になると言ってました。

一日のうち三食の食事をとり、午前と午後にマッサージとリハビリテーション。合間にテレビを見たり。ナースステーションに赴いて工作課題を行う。そんな日々を過ごしてたようです。

すっかり会話が出来るほど回復した祖父に病院生活を訪ねると、つまらんなぁと嘆いてはいるものの実は充実した日々を過ごしていたようでした。

ほぼ寝たきりでいよいよ危ないと思っていた祖父は半年以上の入院を経てようやく退院できた頃には一人でひょいひょい歩き回れるほどに。【要介護1】となって両親の家に戻ってきました。

生活の「張り」が元気の源

祖父が元気になって戻ってこれたのは、病院のみなさんが一生懸命対応してくださったおかげです。そしてそれを真面目にこなしていた祖父の頑張り。

年齢的にもう寝たきりから回復することはないと思っていただけに元気でいることのありがたさを痛感します。とはいえ高齢であることには変わりません。これくらいの年齢になるとちょっと転んで骨折してしまったら今度こそ起き上がる事が出来なくなるかもしれません。

また、家で日がなテレビを見ているだけの生活をしていたらまた認知症がひどくなってしまうでしょう。働いている両親や私も祖父の体調管理をするには限界がありますので、今では週に二回デイケアに通うようにしてます。

少しプライド高めの祖父は最初はデイケアを嫌がっているようでしたが、慣れてくると職員の方たちとコミュニケーションを取るのが楽しいようで今ではデイケアの日は早くから支度してソワソワしだします。

デイケアに通うようになってから祖父は以前のように認知症を患うことが少なくなりました。(体調崩したときに、たま~に発症はします。)

やはりメリハリの利いた生活を送ること。本人が気力を持って生活することが大事なのだと感じます。

同じように寝たきりになった方が元気になるかどうかは環境や本人の意思(気力)に左右される部分もあると思いますので、すべての人が同じようにすれば回復するとは限りませんが、あきらめずにリハビリすれば元気になる可能性もあると希望を持って接してほしいと思います。